かんいちのドッキドッキ年金生活

ドッキドッキする年金生活のライフスタイル、家計費の断捨離はいかに?

8月6日広島、8月9日長崎への原爆投下、8月15日の終戦記念日に思う事。戦争なんてない平和な世界がいいに決まっている。原爆の日!!

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原爆の日、第二次大戦の終戦記念日に思う事、かんいちは戦争なんてない、平和な世界が大好きだ。世界中から戦争がなくなればいいって世界中の人が思っている。個人個人は、皆いい人なんだけど、政治が絡んでくるとなぜか戦争が起きる。どうしてだろうね?

 

どもども、横浜のかんいちだよ!!関内一二郎(せきうちいちろう、略してかんいちなんです!いちろーでもいいし、かんちゃんでもいいよ!)

 はてなブックマークしていただいた7人のみんな、有難うね!!

 

かんいちの親父の戦争談

親父の晩年、携帯でよく話した。戦争時代の事はあまり話したがらない親父だったけど、携帯だと話しやすかったのか、少しだけ話してくれた。

 

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親父は大正11年生まれ。1945年の昭和20年の時23歳の勘定になるかな。親父は技術者だったので、召集されたのは昭和19年か20年ころで遅かったそうだ。

 

善通寺の駐屯地から、南方への派兵が決まり、鳥取の港に集合して船で送られる計画だったそうだ。でも、どうしてか、なかなか船に乗せられなかったそうだ。

 

どうして、船に載せられなかったのか解らなかったそうだが、親父なりに考えて思った事それは・・・・

 

親父は結構スポーツが上手で、なんでか知らないけどバレーボールが上手だったそうだ。背はかんいちよりも低く、中肉中背だった。連隊長か、出兵の責任者がたまたまバレーボールが大好きだったそうだ。そのせいで乗船命令が下りなかったんじゃないかなと言っていた。

 

船に乗った方たちは戦地に着く前に、潜水艦で沈められてしまったと・・

 

終戦を迎え、命からがら生まれ故郷の愛媛県まで帰ったそうだが。運がよかったんだなとしみじみと言っていた。

 

それと、戦争なんて絶対するもんじゃないって・・・・

 

 

広島と長崎と知覧の思いで

大学時代に、オリベッティの研修でプログラム言語PL1を習いに、生まれて初めて広島に行った。

「広島原爆ドーム」の画像検索結果

 

その時みた原爆ドーム、資料館の悲惨な光景と記録と記憶は忘れない。

 

大学卒業前に一人で周遊切符とユースホステル使って九州を一周したのだけど、長崎の平和記念像はも忘れない。

 

「長崎原爆記念碑」の画像検索結果

 

 

そして社会人になって転職後に鹿児島の知覧へ行った。

「知覧」の画像検索結果

知覧特攻平和会館

 

 

知覧特攻平和会館 (ウイキペディア参照)

(ちらんとっこうへいわかいかん)は、鹿児島県南九州市知覧町郡(旧川辺郡知覧町)にある、第二次世界大戦末期に編成された大日本帝国陸軍航空隊特攻に関する資料を展示する施設。

写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されている。その展示されている遺影、遺品のほとんどは、知覧特攻平和会館初代館長板津忠正(元特攻隊員)が集めたものである。なお館内の展示品は全て撮影禁止となっている。

 

 涙してしまった。いう事は何もない。是非一度訪問することをお勧めします。

 

生きているってことは素晴らしい。

生きていれば何でもできるって実感できる。

 

 

そういう場所です。

 

こんなことは二度とやっちゃいけない!

 

 

戦争では誰も幸せにはならない

戦争って誰も幸せにはならない。もし幸せになったと思っている人がいれば、その人の影で不幸にも犠牲になったたくさんの人がいるってことを忘れてはいけない。

 

かんいちが今この世にいるのも、親父が少し運がよかったおかげだと思っている。実際はどうなのかわからないけど、多くの方が戦争で命を落としている。

 

世界中の人がこの言葉を忘れてはいけないと思う

 

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広島平和都市記念碑 原爆死没者慰霊碑

 

安らかに眠ってください 

過ちは繰り返しませぬから

 

原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)は、ここに眠る人々の霊を雨露から守りたいという気持ちから、埴輪(はにわ)の家型に設計されました。中央には原爆死没者名簿を納めた石棺が置かれており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。この碑文の趣旨は、原子爆弾の犠牲者は、単に一国一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。
 広島市は、この碑文の趣旨を正確に伝えるため、昭和58年(1983年)に慰霊碑の説明板(日・英)を設置しました。その後、平成20年(2008年)にG8下院議長会議の広島開催を機に多言語(フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、中国語(簡体字)、ハングルを追加)での新たな説明板を設置しました。

 

 この碑は 昭和20年(1945年)8月6日 世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を 平和都市として再建することを念願して設立したものである
 碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている
 中央の石室には 原爆死没者名簿が納められており この碑はまた原爆死没者慰霊碑とも呼ばれている 

 

合掌、 黙祷!

 

 

by平和主義のかんいち

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