かんいちのドッキドッキ年金生活

ドッキドッキする年金生活のライフスタイル、家計費の断捨離はいかに?

暑中見舞いって必要なのかな、もうやめてみたら?暑中見舞い、年賀状は廃止した。SNSがあれば必要ない!断捨離だ~~(^^♪

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暑中見舞い、年賀状ださなくなってすっきりした。スマホがあれば、友達や親類ともすぐにわかっちゃう時代に本当に必要なのか?と自問自答した結果、必要ないよねと思ってやめっちゃった。あ~~、すっきりした。暑中見舞い・年賀状の断捨離だね!!

 

どもども、横浜のかんいちだよ!!関内一二郎(せきうちいちろう、略してかんいちなんです!いちろーでもいいし、かんちゃんでもいいよ!)

 はてなブックマークしていただいた8人のみんな、有難うね!!

 

暑中見舞い年賀状って必要なのかな?

一昔前、電話やSNSのない時代に、安否の確認や季節の挨拶は大事な事であったが、時代も変わり、毎日SNSでつながったり、スマホで話する時代になって暑中見舞い、年賀状って形式的なもになってきた。

 

それにもかかわらず、日本人の几帳面さで、惰性で続けている古き良き習慣と思う。かんいちはもう4,5年前から辞めてしまった。

 

確かに手書きの文字ってもらった方はうれしいが、画一的なPCで印刷した、はがきが本当に必要なのか?

 

大勢の人がたくさんのはがきを出すことにより、大事なはがきや手紙に詩趣オをきたすような慣習が本当に必要なのかと言ったら、通信が飛躍的に進歩した今必要じゃないよねという結論。

 

それに費やする無駄な時間があるのなら、電話の一本、メール御一通の方がよほど建設的、合理的だよねと思う。

 

 

暑中見舞い、年賀状の起源は?

暑中見舞い、年賀状ともに、郵政省の売り上げを上がる一大キャンペーンだったのじゃないかなと思う。税員取るのと一緒、バレンタインデイ同じだね。商業ベースに乗せられたかんいちってとこね。

 

【暑中見舞い、年賀状の起源は?】

今では当たり前のものとして考えられている暑中見舞い。形は違えどもその歴史は古く、江戸時代以前にまで遡ります。
 かつて人々は、一年を二期と考えていました。その始まりが、今で言うところの正月と盂蘭盆会だったのです。そして人々は期の始まりに、贈答品を持ち挨拶周りを行いました。相手を気遣いまた、その期の感謝をするのです。これはとても重要な事とされ、江戸時代では、武家仲間から親戚関係、更に近所の家を元旦から1月末まで毎日回り続けた人もいた程です。
 身分制度がしっかりと根付いていた時代。身分の高い人は訪問を受け、低い人は訪問周りを行うのが常識でした。ですが、さすがに遠方の方を訪問することは難しく、飛脚便などを使って書状を送ったのだそうです。
 この習慣が、明治維新後の明治6年、日本のはがき郵便配達が始まったのを機に、遠方の方以外にも挨拶状を送るという習慣として広まります。そしていつしか、年賀状と暑中見舞いへと変化を遂げ定着するのです。しかし明治39年に年賀郵便の制度が始まり、昭和24年にお年玉つき年賀状が発行されるなど、年賀状の普及は拍車がかかりましたが、その一方で、暑中見舞いが習慣として広がったのは大正時代になってからのことでした。

 

【海外では?】

日本では習慣となっている暑中見舞いと年賀状ですが、海外は同じ習慣があるのでしょうか?
 年賀状は中国でも習慣として深く根付いているようですが、暑中見舞いの存在はありません。アメリカ・ヨーロッパにも無く、日本独自の習慣といっても過言ではないようです。
 キリスト教圏内では、クリスマスの時期にクリスマスカードを交換する習慣はあるようですが、年賀状がない分、クリスマスカードにHAPPY NEW YEARと添えて送ることが一般的とされています。
 また、キリスト教でない人は、season's greetingとして送るそうです。
 アメリカでも同じようにクリスマスと年始を祝うためのグリィーディングカードの習慣があります。
 また、暑中見舞いと似ていますがが、ドイツでは夏にバカンス先から葉書を送るのが儀礼。年賀状程ではありませんが、日本の暑中見舞いよりは盛んです。

 

 

 

社交辞令化した暑中見舞いや年賀状は虚礼廃止でやめちゃえ!

心のこもらない、社交辞令化した諸通見舞いや年賀状はもうやめようってことで、かんいちはやめてしまった。

 

スマホの深化とともに、スマホが一人1台持つような時代に、一昔前の安否確認的な、暑中見舞いや年賀状ty手意味ないよね。新しい時代には新しいやり方でいいじゃん!ってね・・・

 

暑中見舞いや年賀状の代わりに、かんいちは電話するかメールするかのどっちかにしてしまった。

 

毎年夏と年末の2回、500通近くのはがき書くのって大変だもん。住所録の整理から始まって、忌中の確認。いつも1週間くらいかかっていた年中行事。山ちゃってスッキリさっぱり。

 

友達の断捨離もしたしね、ビジネス用も割り切ってしまった。仕事用は年末年始にカレンダーを送る。夏は、暑中見舞い用として、挨拶をメール便で送るように変えちゃった。メール便一通とはがきと値段があまり変わらないしね・・・

 

友達の断捨離の記事はこちら・・・

sekiuti.hateblo.jp

 

 

ライフステージ、時代に合わせて社交辞令も変えなきゃね!

人それぞれの社交辞令があってもいいなって最近もう。かんいち流社交辞令はこうだよってね!

 

それもその人の生きざまだし、自己主張だから、「あ~~かんいちってこういう人なんだ!」で済ましてもらえればいいんだと思う。

 

かんいちも、相手を認めているので、この人はこういう人なんだって、ただそれだけ!失礼な奴だな~~なんて思わない。

 

いい習慣もあるし、無駄だなって思う習慣もあるのでどうするかは本人次第。みんながやっているからやろうなんてことはかんいちは思わない。

 

いつも考えているのは

これって必要な事なの?

ってことね・・・

 

だからね、暑中見舞いって必要なの?って自問j等した時、Facebook見れば今日の友達の同行が見れるし、必要ならいつでも直接話せる。

 

そんな時代になって、暑中見舞いや年賀状なんて当たっているかどうか?くらいしか見ないし、画一的な心のこもらない文章なんて即ごみ箱行きだもん。

 

あなたはまだ、暑中見舞いや年賀状だしているの?

 

by暑中見舞い、年賀状断捨離のかんいち

 

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sekiuti.hateblo.jp